入院は2022年の11月26日でした。
もうコロナは落ち着いていましたが、その病院では面会は一瞬もできませんでした。
今までも一緒に住んでいないことも何年もあったし、はっきり言って気が合わない、そんな母でしたが、やはり、突然離れるとなると、わたしの心は揺れました。
家に帰っても不安でした。
父は12年前に亡くなっていたので、親は先に死ぬもんだ、と頭ではわかっていました。
母ともそんな話はしていました。
それでも、突然、いなくなると、なんとも言えない心の揺れがおこります。
会えるならまだいいのですが。
担当医とはまだ会えません。
病院からの説明は全て看護師によって行われました。
「麻痺は残らない。歩けるようになる。」それだけです。
その後、病院の地域連携の担当者と会うことになりました。
それは、コケた原因であろう薬を変更し、新しい薬で数値が安定した後、だいたいひと月後でした。
てんかんは、薬が血液中に一定の濃度で存在する状況をつくるようです。
そのために、一度コケた原因の薬を徐々に抜いて、新しい薬を徐々に増やしていくことをしないといけません、とのことでした。
以前に合わない薬があったので、新しい薬は慎重に選ばれたとのことでした。
また、どの薬にするか、少し時間がかかったようです。
結局は、最新の薬が選択されて、今も母はその薬を服用し続けていますが、ジェネリックがないので高い。
新しい薬で数値が安定したため、早く退院させたい病院から、地域連携の方を紹介されたのです。
わたしとしては、「歩けなく、一人でトイレにも行けない母をバリアフリーでもない家にすぐに迎え入れることはむずかしい」ことを伝えました。
せめて、トイレにだけでも行けるようになってもらっておかないと、本当にムリです。
地域連携の方からは「この病院は治療の病院なので、リハビリの病院へ転院することは可能性としてあるので、探してみましょう」とのことでした。
結局、顔も様子も見ることができないので、どうしていいのか、わたしも不安しかありませんでした。
しかし、このような不安な気持ちは、地域連携の方はともかく、病院の担当医や看護師には全くつたわった気はしませんでした。
地域連携の担当の方が、認知症がどの程度の状態か調べてくださったのですが、点数がものすごく下がっていて、入院前は初期より前くらいと言われていたのが(それもわたしは納得していませんでしたが)今では中程度になっていたのです。
中程度!
たったひと月の入院で。
その頃、なんとか何回が電話で話すことができていました。
『娘と話したい』としつこく言う母に困ってのことのようでした。
電話で話すと『帰りたい。いつ帰れるの。早く迎えに来て』そればかり。
涙が出て、困りました。
何回か、電話で話しても、どんどん話が通じなくなって行きました。
「こんなに早く進むものですか」と連携担当の方に聞くと、「なかにはものすごく早い方がいらっしゃいます。」とのことで、そういう場合は認知症が進み、身体も衰えて行くスピードがあがる可能性があるようでした。
いよいよ、人生のラストにさしかかったのか、と考え込んでしまいました。
この後、さらに大きく病院不信となることがありました。